ソフトバンクでゲーム事業を学び独立-人生はすべてが小さな因果でつながっている-

公開日:2020/08/13
更新日:2020/08/20

前回は、「マグナとふしぎの少女」に込められた英語学習への熱い思いを片山社長に語っていただきました。
もともとは英語が嫌いだったといったエピソードは、現在の社長からは全く想像できず意外でした。

今回は、そんな片山社長がソフトバンクに転職し、どういった経緯でアプリのゲーム開発に興味を持ち独立して「マグナとふしぎの少女」を作ることになったのか。片山社長の人生が「マグナとふしぎの少女」の開発へと繋がっていく、不思議な運命を感じられる内容となっています。

あの孫正義のエピソードや独立後の失敗、そして成功、と勇気をもらえるお話も聞くことができたのでぜひ、最後まで読んで下さい!
※もし第1話を未読の方は1話から読んでもらった方がわかりやすいと思います。(下記のリンクからどうぞ)

英語とは無縁のゲーム会社へ就職

経営者としての勉強、ソフトバンクとのきっかけ

Hideo

ゴン

英語とは無縁の仕事でしたね。
Eiko

片山さん

そうですね。総務人事部で、僕が最初にやった仕事の一つは、社長に株価の報告を毎日するということだったんですよ。

その頃はインターネットが普及していないときでして、
テクモの創業オーナーさんが証券会社出身の方だったのですが、
毎日前場の株価の一覧を取り寄せるんですよ。
それを持って社長室に行って、読み上げるんです。

任天堂いくら、コナミいくら、カプコンいくらって読み上げていく。
そんな仕事をしていました。

そうしたらある日、「そのリストにソフトバンクをいれろ」と社長に言われて。
「え?ソフトバンク?」

僕にとってはそれがソフトバンクを初めて知るきっかけでしたが、
「ソフトバンクってなんですか?」って言ったら社長からめっちゃ怒られました。
「バカモーン!この業界にていてソフトバンクを知らんとは何事か!あの孫正義という男はすごいぞ。これから頭角を現す。」と仰っていました。

そうしたらあれよあれよと
ソフトバンクの株が爆上がりしていくのを見たりして、経営者って面白いな、予言者みたいだな、って思っていました。

今思えば、証券のプロに毎日レクチャーしてもらえる環境で、
入社1年目からIPOプロジェクトにも配属されて、結果的にIPOも体験させてもらいましたし、当時起業する意思は全くありませんでしたけど、今思えば経営者に必要な勉強を現場で体験をさせて頂いていたのは振り返るとすごく貴重な体験で、とても感謝しています。

ソフトバンクで出会った「マグナとふしぎの少女」の原案者との出会い

Eiko

片山さん

テクモに3年お勤めして一部上場までいって、
自分の中で次のチャレンジを求めて、転職を決めました。
後にも先にも、転職したのは1回きりなんですよ。
転職を決めた理由に、インターネットもありました。

テクモはゲームを作る会社ではありましたが、家庭用ゲーム機という中でのリリースがメインでした。比較した時に、インターネットの先に広がる海の方がはるかに大きいと思ってしまったのがきっかけでした。
思えばゲーム業界を選んだのも世界を相手に勝負できるからでした。
だからこそ、インターネットの世界に惹かれたのかもしれません。

そこで転職しようと決めました。
その時、テクモの社長が仰っていたソフトバンクの社名が浮かび、真っ先にソフトバンクグループに連絡したら、幸いにも入社できました。
Hideo

ゴン

孫正義さんと会話する機会などはありましたか?
Eiko

片山さん

私もいつか会えたらいいなとか考えていたのですが、
入社3日目ぐらいに、グループのイーコマース分野の中核企業30社があつまるCEO会議に参加させてもらう事になり、あっさり生・孫正義さんを見る機会を得ました。

見た目は案外普通で、小さいな・・・って思っていたら、話し始めたら想像を遥かに越える人で(笑)。

その時に、そうそうたる方がCEO会議にいらっしゃっていて、
ヤフーの元社長の井上雅博さんとか、SBIの北尾 吉孝さんとか、そのほか30社ぐらいのグループのEC分野のCEOばかりが集まっている中で

「今ここに若手の会社が30社ぐらいいますけど、
3年後に3社ぐらいしか残っていないと思います。

けど、その3社が、20倍、30倍どころか100倍以上の価値を持つようになるから、心配ありません。他の27社くらいは残念ながら潰れちゃうかもしれないけど、残った3社がそれ以上に規模拡大するから心配無用。だから小さく縮こまらず、思い切ってチャレンジして下さい。」

みたいな話をして、10分で次のアポに行ってしまいました(笑)

えぇ〜!みたいな(笑)。衝撃でしたね。

後から考えると、そこにガンホーの創業者であり、今の「マグナとふしぎの少女」共同原作者となる孫泰蔵さんがいたわけで、残った3社のうちの1社、しかも規模は当時の100倍どころじゃない訳ですから、本当に孫社長の言ったとおりでした。

ま、孫泰蔵さんと一緒にマグナを考えるのは、その当時から約10年後になるので、この時はまさか一緒に事業を立ち上げるとは夢にも思っていなかったのですが。
Hideo

ゴン

そうなんですか。ソフトバンクでの事業内容や、
それから独立して、「マグナとふしぎの少女」を作ろうとした
経緯はどんな感じなのでしょうか?
Eiko

片山さん

そうですね、そこからはソフトバンクグループの社員として7〜8年活動しました。
ソフトバンクはYahoo! BBというブロードバンド事業の立ち上げをしたばかりでしたし、僕も経営企画本部というところで、多くのグループ会社さんの事業支援をする立場でした。その過程で多くの立ち上げ〜成長、失敗を目の当たりにしました。

途中からは、自分自身もコンテンツの事業を手掛けるグループ会社の代表などを経験していきました。最初の会社の社長になったのは29歳くらいのころかな。

特に、好きだったゲーム事業やコンテンツ事業に関わらせてもらうことが増え、たくさんゲームをリリースし、運営もしましたし、プロデュースもしました。

独立後の失敗と成功

独立、起業したきっかけ

Hideo

ゴン

独立までのきっかけは何だったのですか?
Eiko

片山さん

ソフトバンクで7〜8年仕事をした後、独立しようと思って「Life2Bits株式会社」という会社を立ち上げたのは、iPhoneが発売された数年後でしたね。

それまで、しばらくインターネットやオンラインゲームの仕事をやっていたのですが、スマートフォンの可能性がすごく大きく見えていました。
AppStoreでアプリを出したら、世界中の人がアクセスしてくれるんです。すごいことですよね!?まさにこれこそが、自分が探していた海だ!と思って・・・。

これから間違いなく広がっていく一方なのに、当時在籍していた会社では、いまだにWEBブラウザやガラケーでのサービスがメインだったのと、いちいち企画を作ってプレゼンして予算をとって・・・とやらなくちゃいけない。
もっとスピード感もって、自分がやりたいことをやるには独立するのが早いと思って、独立しました。

ライフログ事業をやろうと思った独立初期

Hideo

ゴン

独立初期は何をやろうと思ったのですか?
Eiko

片山さん

スマホがおもしろくて、なんでもやれたらいいのかなと思ったけど、
当時は何も決まっていませんでしたね。
発作で起業してしまいました(笑)。

当時はGoogleの勢いがとにかくすごくて、まだFacebookがそれほど大ヒットはしてなかった時代でした。いや、すでに強大でしたが、今ほど強大ではなく、ちょうどAndoroidとiPhoneの競争が始まり出したころ。

そこで、Googleが買収している100社を分析したんですよ。
そうすると、1つの傾向が見えてきます。
Googleの買収した会社にはYouTubeを筆頭にいろいろな会社がありましたが、1つの共通点があります。それは、Googleはログに投資をしているという事です。

Googleは内製プロジェクトもやっていましたが、成功事例が少ない。逆に買収してそこから育てていることが多いので、私たちもGoogleが買収したくなるビジネスをやっておくといいんじゃないかということを当時は考えていたんですね。

そこで、ライフログ系をやろうと言うことをなんとなくイメージしていました。でも決まっていることはそれだけ。

社員に給与は払っていたけど、自分の給与は最低限の家賃分ぐらいだった。なので、そこのころは、外部企業のコンサルティングとかをやらせて頂いて収入を得て社員に給与を払っていたりしていました。
Hideo

ゴン

自分も創業当初はそんな感じでした。

3.11が変えた事業転換

Eiko

片山さん

そんな感じで、最初はライフログをやろうと思って、
位置情報ゲームのサービスをやろうと進めていたんですね。

それで、いよいよサービスしようと思っていたときに
3月11日の大震災が起きて。結局リリースがしばらく保留になりまして。
呆然としました・・・。
集めていた位置情報が、東日本地域を中心に一日にして津波に押し流されました。
Hideo

ゴン

大震災でプロジェクトが飛んでしまったと。
Eiko

片山さん

はい。正確には心が折れた感じですね。
作っていたサービスがパーになったショックもあるのですが、そもそも自分たちのサービスは何の役に立つんだろうか?・・・と。震災が起きている時に、位置ゲームリリースしてどうすんだ?・・・と。

その後、災害対策用のVoIPアプリとして「OnSay」(https://www.life2bits.com/onsay/)というアプリを3ヶ月で作ってリリースしたんです(※現在はサービス終了)。
正確にはアイディアは前からあったけど、やろうとする意思がなくて立ち止まっていたのが、震災を期に作りたくなって・・・。

この「OnSay」は、大震災が起きた時、当時LINEがなかった時代でした。あの時誰もが電話がつながらない体験をしましたよね。それでも、インターネットやインターネット電話なら使えることがわかりました。そこで、ネット回線を使って電話ができる機能を作れないか、電話番号がなくても、Twitterとか、Facebookのアカウントで電話ができる機能があればいいんじゃないかと思ってリリースしたんですよね。

そうしたら一晩で10数万ダウンロードされた。当時AppStoreだけで宣伝一切なしでリリースしたにもかかわらず、初日で無料ランキングで11位にもなりました。
Hideo

ゴン

それはそういうものを作れる技術があったということですか?
Eiko

片山さん

いや、実際作ったことがないので、11ヶ月ぐらいどうやって作るかを考えていた。作れるから作ったというのではなくて、決めてから作れる人を探してきた。
Hideo

ゴン

いや、すごすぎですね。
Eiko

片山さん

幸いに、そのうちの一人が今でも弊社のメインのエンジニアですが、その人と出会うことができました。それこのOnSayという音声アプリで賞をとって、Wiredの記事に掲載されたんですよ。

次回記事告知

今回の取材では、スマホアプリの将来性に魅せられた片山社長がソフトバンクから独立し、成功を収めるまでについてお話いただきました!

次回は、いよいよ、
「マグナとふしぎの少女」を開発することになった貴重なエピソードがスタートです!
ガンホー孫泰蔵さんとの再開から、話が一気に加速していきます!
シリコンバレーから帰ってきた孫泰蔵が怒った理由とは?
ご期待ください。

Eiko

英子

片山社長のこれまでの経験が、全て「マグナとふしぎの少女」の開発に繋がっていて、不思議な運命を感じたなぁ。
Hideo

英夫

まさに因果だなぁ。次の記事も更に興味深い内容になっているので、ぜひ読んでみてくれよな!

ガンホー孫泰蔵との再開-「マグナとふしぎの少女」制作の前身-

最終更新日:2020年8月20日